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諸橋博士の碑





石碑の裏面には下記の言葉が刻まれている。

五十嵐川のほとりに立つと美しい川の流れがある。
粟ケ岳が豊かなふるさとを抱きかかえるようにそびえ立つ。
越後山脈に源を発した五十嵐川は、断崖の景勝地八木ケ鼻の下を激しく流れ
やがて村を越え街を抜けて日本一の大河信濃川と合流する。


古の世に第十一代垂仁天皇の第八皇子、五十日足彦命(いかたらしひこのみこと)は
天皇の命により越の国の開拓にあたられた。そこに流れる清流は五十嵐川と呼ばれ
るようになった。多くの魚がすみ、田畑は潤い栄えた。五十日足彦命は下田郷に
薨去(こうきょ)され、五十嵐神社に祭神としてお祭りされている。

平成16年7月13日、新潟福島豪雨に五十嵐川左岸の堤防が決壊し、大きな被害をもたらした。
復興をめざし多くの人たちの力によりj河川改修事業が行われ、心ある人たちがあいつどい
花々を植え美しい流れがよみがえった。
この事業の記念に、五十嵐川の流れをこよなく愛された「大漢和辞典」の編者である
諸橋轍次博士が嵐渓荘に贈られた和歌を刻ませていただいた。

かけがえのないふるさとが豊かでありますように願いコメリ克窓烽贈呈した。
     平成二十二年四月吉日
                                  三条市
                                  一ノ木戸商店街 朝草会
                                  コメリ克窓焉@トップのページへ戻る

朝草会